テディベアの誕生は1902年、アメリカとドイツ、2つの国にエピソードがあります。どちらが先かはわかりませんが、この2つの国から始まったと言われています。
ドイツ南部、ギーンゲン。人口およそ2万人のこの町は、町はずれにあるぬいぐるみメーカーで有名です。ここに、テディベアファンなら誰でも知っている、老舗シュタイフ社があります。
この会社の工場から、世界に送り出されたテディベアは3,000万体以上といわれ、今でも年間45万体が生産されています。
世界で最初のテディベアを作ったのがこの会社を起こした女性、マルガレーテ・シュタイフだと言われています。
幼い頃に小児麻痺を患い、両足と右手が不自由だった彼女は、それを持ち前の負けん気と訓練で克服し、針仕事をこなしていきました。
そうしてハンディを乗り越えた彼女は、1880年、ついにおもちゃ会社を起こします。
工場でははじめ、ゾウや馬、らくだといったフェルト製のおもちゃを作っていました。その後、事業がうまくいき、甥や姪が次々に会社に入り、彼女を支えてくれるようになります。
1902年、甥の一人、リヒャルトが、クマのぬいぐるみを作ることを思いつきます。
それは、本物のクマに見えるように、ふかふかのモヘアを使い、手足を首が自由に動くという、当時としては画期的な物でした。
当初マルガレーテは、このぬいぐるみは作りが複雑な上、材料も高く、手間がかかるので、生産を押し進めることを迷います。
しかし、「子供達にこそ最高の物を与えたい」という信念が、彼女に決断させました。
生まれたてのテディベアは、たちまち大人気になり、5年後には年間97万5,000体を生産するまでになりました。
マルガレーテの生み出したテディベアは、今でも世界中の家庭に、ぬくもりを届けているのです。
1902年11月、アメリカ南部ミシシッピー州に州同士の争いを止めるために来ていた、第26代アメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズベルトのために、余興としてクマ狩りが開かれました。しかし、いくら野山を駆けまわってもクマは見つからず、ついには大統領は1頭も仕留めることが出来ませんでした。
そこで、お供の人が大統領の面目を潰さないようにと用意したのが、生け捕りにした1頭の子グマ。
「これを撃ってください」
と差し出された子グマを見た大統領は、スポーツマンシップに反するとこれを断固拒否したのです。
このエピソードが、大統領の公平さを表す美談として新聞の政治漫画に載りました。
この漫画を見てあることをひらめいた人物がいました。ニューヨーク・ブルックリンで駄菓子屋を営んでいたモリス・ミットムです。
彼はクマのぬいぐるみを作り、それに大統領のニックネーム"テディ"をつけて"テディベア"と名付けたら素敵だと思ったのです。そして早速大統領に手紙を書き、名前を使うことを了承してもらいました。
テディベアのアイデアは見事に当たり、彼はベアを生産する会社アイディアル社を起こすまでになったのです。
ロシアからの移民であった彼にとって、テディベアはまさにアメリカンドリームそのものとなったのでした。もちろん、名前の由来となったルーズベルト大統領も、テディベアを気に入りました。狩猟者や漁師の格好をした小さなテディベアを、ホワイトハウスに飾っていたと言われています。
テディベアの中には、キャラクターとして世界中に知られるようになったベアもいます。
今や40カ国で訳され、またディズニーアニメでよく知られているこの物語のプーさんも、テディベアです。
イギリスの作家アラン・アレクサンダー・ミルンによって、その一人息子クリストファー・ロビンとそのぬいぐるみ達をモデルに書かれたお話で、その中でもテディベアのプーさんはロビンのお気に入りでした。
テディベアは母親のドロシーがロビンの1歳の誕生日にプレゼントしたものです。
ロビンは自分でこのテディベアに"Winnie the Pooh"と名付けました。
今現在、有名になったテディベアは、ニューヨーク公立図書館分館、Donenell Libraryに展示されています。
ロバのイーヨー、子豚のピグレット、トラのティガー、カンガルーのカンガといった他のぬいぐるみも、なかよく一緒に並んでいます。
「どうぞこのくまのめんどうをみてあげてください。おたのみします。」
そう書かれた札を下げたベア、パディントン。
この物語「くまのパディントン」に出てくるくまもテディベアがモデルになっています。
BBCの元カメラマンで作家のマイケル・ボンドが、妻へのクリスマスプレゼントとして買ったテディベアを主人公にして、物語を書いたのです。
もちろんオリジナルのベアにもパディントンと同じ札が付いているそうです。
パディントンは1976年から、Action Reserchという慈善団体のマスコットをつとめています。